いわれなき罪悪感

ホントにしたかったことを,無理やり抑えてしまって,結局不満になってしまった.
今日の例は,みんなで酒が飲みたかったが,なぜか言い出せずに,飲まずに終わって,あるやつに若干あたって,それに気がついた話.


今日帰るところで,いっぱいやりて〜といっていた人がいて,なんか飲みそうな雰囲気だった.
が,飲まずにそのままなんとな〜くばらばらになってしまった.
で,夕飯も食っていないので,帰る方向が同じやつと飯を食うことになったのだが,
ふと口を開いたら,愚痴というか,なんとなくそいつにあたるような感じになってしまった.


それで,そのときやっと自覚したことは,やっぱり飲みたかったんだな〜と.
で,次に思ったことは,飲みたいと思っていたにもかかわらず,なんで,「飲みますか」とか「どこ行きます」とかいえなかったんだろと.
別に,そんなことが言えない雰囲気だったわけじゃない.第一に飲みて〜といっていたやつがいて,それとな〜く飲みに行こう的なそんな雰囲気が流れていたにもかかわらず.(少なくとも今思い出すとそんな感じだった)


よくよく考えてみると,そのとき誰かが行こうみたいなことを言い出せば,即そうなりそうな雰囲気で,それを自分が行ってしまうと,みんなの行動を決定してしまうみたいでやだったのかもしれない.
(もちろん,そうなったとは限らないのだが)


もう少し突き詰めると,自分がしたいことを相手に押し付けているような後ろめたさを感じているからじゃないかと思う.別に自分のしたいことを強制させようとか,そういうつもりはないけれども,「自分も飲みたい」というだけでもためらっているように思う.
(まあ,自分の行ったことで決定してしまうととか,強制している考えること事態が,変な気もするけど)


じゃあ,このためらいって何だろって考えると,たぶんだけど,押し付けがましいと言われることを恐れているのかもしれないと思う.なにこいつでしゃばってるのみたいに嫌われると思っているんじゃないかなと思う.頭では,そんなことでそんな風に思われることはないと思っていても,なんとなくためらってし待っていると思う.はっきり言ってこのためらいみたいのはよくわからない,けれども,ぼんやりそこになにか
あることだけは感じている.そんな感じである.


ある本では,それをいわれなき罪悪感と表現していて,この罪悪感は子供のころに受けてきた不快感情が原因と書いている.
とはいっても,その不快感情を受けてきたって言われても,とんと検討がつかないのだけれども.
ただ,類似したためらいみたいな感じは,あいまいだけれども小学校のときにも感じていたような気がする.


ある記憶だとうっすらとだけど,ためらいと自分が欲求の真ん中を取ろうとして,やっちまったようなのがあるような気がするけれども,それが原因とは思えない.というのは,それ以前にもそんなことあったような気がするからである.


まあ,原因ははっきりしないけど,そんなの無視しちゃえと思うかもしれないけど,今度はホントにでしゃばっていたら,どうしようとかんがえちゃうんだよね...